考察:日本は無駄が増えすぎてないか?

 ■ 日本という国は現在どのような立場の国なのか?それは国民の日常生活において、どのような影響が出ているのか?

 と、書き出しを記すと無駄になんだか「ソレっぽい」のですが、そんな意識の高い〇〇チックな文章ではなく、あくまで個人の意見を書き殴るだけの駄文であります。個人的価値観のみを自分で整理したいので書きだしてみる。

 
 2013年7月から小麦粉などの値上げが話題になっている。アベノミクスにおける円高の是正の影響が多少あるだろうが、主な原因は小麦などに関しては言えば、去年からずっと不作が報じられてきていた。その影響が今になって出てきているらしい。最も野党やマスメディアは「アベノミクス」が原因だと言わんばかりの言い方しているので、勘違いしている人も居るんだろうなぁとか思う。

 そんな中で、電気料金やガス料金の値上げもされている。こちらも原油価格の上昇が主な原因だが、野党とマスメディアは(以下略)。これに関しては生活にダイレクトに響くので関心も高いが、自分もその関心や過去に盛んに言われてきた「エコ」の個人的な考えもあり、電気の使い方を少し考えてみようと思い立った。

 そもそも、日本ってのは「電気を無駄に使い過ぎじゃないか?」東日本大震災以降の原発騒ぎもあり、今では世間も電気に関して関心が高い。

 が、そこで論議されている中には、「普段の生活で電気が無駄に使われているのではないか?」という点は誰も触れない。民主党政権化であれほど「エコ」を謳って叫んで利用しまくって、震災・原発事故後には電気不足だと大きく騒ぎ、やれ節電だのなんだの騒ぐだけ騒いでいても、結局は電気を使いまくっている。

 別にそれが悪いとか良いとかじゃなくて、矛盾をはらんでいる論争を正当化して声高々に「叫びまくる だけ 」という行為が、個人的に好きになれないだけ。

 論点がずれた、そこじゃ無いよ、書きたいのは。

 個人的に、あくまで個人の思う所の「エコ」の思想と震災後の騒ぎから、私生活において電気とはなんぞ?と考えた結果出た答えが、「手の届かない管理の資源」であり「金を払えば自由に使うことができる消費物」という全く新鮮味のないアタリマエのことに行き着いた。

 国民は電気を「使う」ことしかできない。
 電気を使うも使わないも、それは個人の自由であり、使うのなら金を払う。そのくせ、有事の際は個人で電気を確保しなければ利用できない。
 現状は民間事業主が管理運営する企業から一方的に購入するしか選択が無い。

 とりあえず国民は電気に対し、個人レベルで出来る対策は無いに等しい。特に都市部に住んでいると選択すらできない。

 この状況で「エコ」だ「節電だ」と騒いでも何ができる?そして実行してなにか変わるのか?変わらぬ、変えれぬことに対して騒ぐことで何がしたいのか?それは主張の自由だ!といってしまえば「はい、そうですか」と答えるしかないのですが、某原発のアレとか、夏の節電のアレとか、エコロジーななんとかとか、結局、現状電気は一方的に使うことしかできないし、使うためには金がいるし、まず、購入先の選択が個人で出来ない時点で論議ができないはずで、上記のように騒ぐのは一過性の無駄でしかないんだと個人的に痛感している。

 なんだかんだ書いてみると、ダタの批判にしかなってないな。全くもって人の事が言えない。

要するに、町中が明るすぎて、ちょっと眩しくねーか?それ無駄じゃね?ってのを遠回しに語ってみたかっただけでございます。お粗末。